2021年9月26日 使徒言行録17章22~31節 「神の体の中で生きる」
伝道開始100周年を迎えることができた板宿教会に注がれた、計り知れない神様の恵みに感謝いたします。100年前の1921年5月27日、西代日本基督教会が発足しました。100年前の教会員たちは、果たして今日の板宿教会の姿を想像していたでしょうか。なぜ板宿教会は、100年もの間、教会として立ち続けることができたでしょうか?教会に、今まで問題が何もなかったからここまで続いたわけでも、危機的な状況がなかったから今があるわけでもありません。
90年前の1931年、松田輝一先生に代わり、三代目の牧師として春名寿章先生が着任されました。満州事変が勃発した年です。1936年に西代教会の会堂と牧師館が献堂されましたが、1940年には、戦時下の、宗教団体法下での日本キリスト教団への半強制的な教会合同を教会は経験しました。天皇が現人神になっていた恐ろしい時代、政府当局による弾圧的な宗教政策のもとで、教会は、厳しい国家統制の中で、粛々と礼拝を守り、80年前の1941年に、伝道所から教会になりました。しかし終戦の前年に、春名牧師は九州の炭鉱に3か月間徴用され、教会員からの戦死者も出ました。そして戦争末期の1945年3月には、神戸大空襲によって会堂と牧師館が全焼してしまうという大きな苦難が訪れました。その時春名先生は、途方に暮れて、焼け跡に佇んでおられたそうですが、しかしそこから、教会は蘇りました。春名先生の、一時代を作り上げるような強いリーダーシップの下で、一年後の1946年には、教会は日本基督改革派教会の発足に参加し、73年前の1948年から現在の板宿の大黒町に移転して、教会名も正式に「板宿教会」にという名前に変わりました。
その後、61年前の1960年に松田一男先生が赴任され、34年間牧会される中で、教会はさらに成長し、発展し、安定し、より多くの方々がこの場所に集められて、教会の現住陪餐会員数は150人に迫るという、一番のピークを迎えました。
また、26年前の1995年に起こった阪神淡路大震災では、板宿は被災地の只中に置かれましたが、しかし、震災の10年前に建てられたこの現会堂は、阪神淡路大震災の揺れにも耐えて、本当にこの周辺地域では、ほとんどこの板宿教会だけが、震災前から全く変わらない佇まいで、そのままこの場所に建ち続けています。山中雄一郎先生は震災直後に赴任され、そこから2014年まで19年間、震災の深い痛手によって傷ついた板宿教会を、癒し、慰め、再び立ち上がらせてくださいました。先週、その山中雄一郎先生は神様の御許に召されました。山中先生とこの地上でお話しできないことは、私たちにとって、とても悲しい、とても寂しいことですが、しかしまだこの会堂の中にも、そして私たちの心にも、一人一人に寄り添い語りかけるような、山中先生のあの優しい声は、今もはっきりと残っていて、耳の奥からあの声が、今も聞こえて来るかのようです。
そしてもちろん、この三人の偉大な先生方以外にも、本当に数え上げることができないほど多くの方々が、板宿教会に集められ、板宿教会を通して神様を知り、ここで御言葉の語りかけを受け、神様の恵みを受け取ってきました。文字通りの祝福の源がここにあります。
ではなぜ板宿教会は、100年倒れなかったのか?それは、ひとえに板宿教会が、キリストの生きた体であるからだと、今朝は、語ることができると思います。
教会は、キリストの会社でもなく、学校でもなく、単なるキリストの所有物でもなく、奴隷でも、信用組合でもない。体であるということは、体ですから、同じ血が通っていて、同じ命を共有していて、文字通り一体となっているということです。
100年前は、私たちの誰も、ここにいませんでした。私たちのこの命だけでは100年はもちません。しかし、キリストの体であるこの教会に宿る命は、死を超えて復活し、今なお永遠に豊かなる、100年や200年ではきかない、イエス・キリストの命です。その命が、このキリストの体なる教会では、鼓動している。教会の中に宿るキリストの命は、尽きることがない命です。それが、このキリストの体なる教会を生かす。
しかし、キリストの体なる教会は、キリストの命に生かされながらも、それは機械ではなく、生身の体ですので、エフェソの信徒への手紙の御言葉にも、一言「わたしたちは、キリストの体の一部なのです」という言葉もありましたように、このキリストの体の一部分一部分を担うのは、この私たちですので、時に疲れたり、ケガをしたり、擦りむいたり、病気になるということも、そこでは避けることができません。決して無くならないキリストの命はこの教会という体に宿るのですけれども、だからと言って、ロボットではない私たちは、昨日と同じ、毎日同じ、というわけにはいきません。疲れたり、病気になったら、癒される必要がある。そこでまず、私たちが、体の一部同士でお互いに助け合う。体の中の、他に比べて弱い部分は、他の強い部分によって、補われ、守られ、支えられる必要があります。そうやって、キリストの体なる教会の一部分一部分である私たちは、補い合って、助け合って、支え合いながら、ひとつの体として生きていく。
そして何より、ここでは主イエス・キリストが、病をいやし、健やかな体となるように、教会を回復させてくださる。何で、この教会という体は癒されて、力を与えられるのか?それはもちろん、キリストの愛、主イエス・キリストの命の血しぶき、十字架の福音と、それを具体的に体なる教会に流し込んでくださる、教会にしかない聖餐式、そこにあるまことの食べ物、まことの飲み物、命の水が、教会を生かし、潤し、生き返らせる、命の源泉です。
そして板宿教会は100年間、ずっとその主イエス・キリストの十字架の福音と、命の礼典から、教会全体と、ここに集う人々皆が力づけられ、癒されて、ずっと今までそうやって、やってきました。
そして体は、生きている限り成長し続けます。そこには、背丈も伸び、力もついて、体そのものが大きくなるという成長もあれば、木の幹が年を経るごとに年輪を増していって、皮を厚くし、強く固く、自らを固めて強度を増していくような、そういう質的な成長、成熟、強さ、という面もあります。厳しい冬が、分厚い年輪を木の幹に刻ませるように、苦難の中での教会形成、その危機的な状況を潜り抜けるという経験は、教会を練り清めて、強くします。
100年の歴史を持つに至った板宿教会には、そういう、練り清められた、多くの信仰の先輩たちの後ろ姿という、大きな財産があります。人はどう生まれ、どう成長し、どう生きて、どう死ぬのか、そのすべてについての豊かな模範が、信仰者として生きて死ぬということについての豊かなひな型が、教会の伝統というかたちでここには蓄積されていて、私たちは知らず知らずのうちに、ここに集いながら、他にはないその豊かな財産を、受け継いでいます。
これから先も、決していい格好しいではなく、お互いの良いところも悪いところも、これはお互いのためになるとことだと思って、隠さず、遠慮せず、出し合い分かち合って、助けて、助けられて、守られ、守り合って、一つの体、一つの塊となって、一緒に進んでゆきたいのです。
私が教会を考える時に、いつも、絶えず、考えていることがありますので、最後にそのお話をさせていただきたいと思います。
それは、教会を考える時に、いつも私たちが考えるべきこと、それは、教会形成とは自己形成である、ということです。
今朝最初にお読みした使徒言行録17章28節の、「我らは神の中に生き、動き、存在する」という言葉を引用しながら、実はかの有名な改革派教会の創立者カルヴァンは、「この神への瞑想に己が思いを真っ直ぐに向けない限り、誰一人として自分自身について考察することはできない。」と語って、神を知ること無しに、人は自分を知ることができないと、その代表作であるキリスト教綱要の一番初めの言葉で語りました。
そしてこの考え方が、そのまま、私たちと教会との間にも当てはまります。つまり、私たちが神を知ることで自分を知れるように、私たちが教会を知りまた教会を作っていく、次の世代につなげていく、そして教会にこそあるキリストの命を生きていくということと、クリスチャンが、自分の人生を生きていくこと、自分を成長させ、自己形成をしていくということとは、一つです。私たちは教会に生きることで、本当に信仰者として生きる。教会に生きること無しには、クリスチャンとして、信仰者として本当に生きるということはできない。
私たちクリスチャンにとって、生きるとは、神様の中で、つまりこの教会という神様の体の中で生きることなのです。このキリストの体、教会は、私たちの命です。
そういう思いが沢山集まって、100年間、この教会を支えた。そういう生き方をしてきた多くの先輩方がいたから、会堂が焼け落ちても、地震に揺さぶられても、教会は倒れなかった。100年間続いたのです。コロナウィルス禍も大きな危機ですが、それで倒れるような板宿教会ではありません。これまで、教会への本当に多くの人々の愛が途切れず、そして何よりも、ここを源として溢れ出す神様の愛が、枯れることなく、沸き上がり続けて、さらにそれが、この先も決して尽きない。そういう本物の教会が、キリストの生きた体が、ここにあります。
この100年目の今、私たちがここに繋がっているという特別な恵みを、神様に心から感謝します。そして、教会の歴史と伝統はここで終わらず、さらに先がある。このキリストの体には、さらなる成長と、未来に受け取るさらなる大きな祝福があることを、私たちは希望と期待をもって、臨み見たいと思います。