2021年10月17日ルカによる福音書23章26~29節 「十字架と歩む」
今朝の御言葉には、冒頭の26節に、「人々はイエスを引いていく途中、田舎から出てきたシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。」という一言が語られています。今朝は、一節の御言葉に集中して、この言葉を通して語られる神様の恵みを受け取りたいと思います。
もうルカによる福音書も佳境に入り、ついに主イエスがかかられる十字架のすぐ下まで、場面が迫っています。十字架刑を受ける死刑囚は、通常自分自身で自分が架けられる十字架を抱えて、処刑の場所まで運んでいったそうです。当然その途中でさらし者にされて辱めを受ける。自分の身長よりも大きな十字架を背負って、引きずっていくこと自体も苦しいことで、その苦しみと屈辱と恥も含めての処刑なのだという、恐ろしく、おぞましい刑が十字架刑でした。
しかし主イエスは、十字架を自分で担いでいくことができなかった。多くの聖書解説者は、この時既に主イエスは、一発で相手を瀕死に陥れるような鞭打ち刑を幾度も受けており、前の夜のオリーブ山での寝ずの祈りから、逮捕と、たらい回しの尋問で一睡もしておらず、自分で立って歩いて、ゲッセマネの園まで自分の足で歩いていくだけで、もうやっとの状態であったと、解説しています。
なんと弱い主イエスの姿でしょうか。奇跡を起こせるような大きな力をお持ちの主イエスは、人の救いのためには、他者を立ち上がらせることのためには、それを惜しみなく用いられましたが、しかし主イエスは、奇跡の力を、ご自分のためには全く行使されませんでした。使うなら今だ、という肝心のところで、主イエスは、神の子としての超自然的な力を行使せず、そのような時こそ、一人の人間として、同じように私たちも使うことのできる能力によって、あくまで私たちと同じ人間として歩まれました。主イエスが自ら踏みしめようとしておられた道は、苦しみ痛みを担う十字架への道、受難への道だったからです。
そして主イエスは、そのもろい、弱々しい姿をさらしながら、十字架という御自分の使命を果たすために、一人で独走して行かれることはありませんでした。私たちの力を必要としてくださいます。そして私たちと一緒に歩んでくださるのです。
そこで突然、それまで聖書には出てきたことのないキレネ人シモンが登場します。並行するマルコによる福音書では、ローマの兵士たちが、たまたま通りかかったキレネ人シモンに、イエスの十字架を無理に担がせた、と書いてあります。キレネ人とは、今で言うエジプトの西隣りの国であるリビア人のことです。そんな、聖書の地中海世界の大外に位置するような国の人が、さらに田舎から出てきたのだ、と訳されていますが、田舎という言葉は、道端とも訳せますので、本当にたまたまそこを通りかかった道端の外国人の通行人で、全く主イエスの十字架と縁もゆかりも関係もない、そういうシモンという人が、いきなり引っ張り込まれて、無理やり十字架を背負わされたのです。
しかも、シモンという名前には、不思議と、サイコロを振るという意味も込められています。本当にそういう意味でも、たまたまで、サイコロを振るように、次に何が出るか分からない、前後の脈略や伏線などは何もない、そういう人が、しかしいきなり、この聖書の一番大事なところで、弟子たちでさえ逃げ去った、取り巻きの主イエスの家族たちでさえ傍まで近づくことのできなかった、ローマ兵の死刑執行人だけが触れられる主イエスの十字架に触れて、しかもそれを背負って、主イエスの後ろ姿を追って歩いていく。
なぜここで、キレネ人シモンなのだろうかと思います。シモン自身も驚いたと思います。しかし、思い返せば、この主イエスの十字架を取り巻く人々は皆、主イエスの十字架と向き合い損ねた、十字架を担い損ねた人々でした。弟子でありながら主イエスを裏切ったユダやペトロしかり、自己保身を優先して正しい判断と責任を放棄した総督ピラト、領主ヘロデしかり、バラバはいきなりの恩赦を受けて釈放されて、もう姿をくらましています。そして何より、群衆たち、民衆たち、人々は、自分たちを救うために来てくださった主イエスに、「殺せ、十字架に付けろ」との罵声を繰り返し浴びせました。キレネ人シモンも含めて、誰も主イエスとちゃんと目が合っておらず、主イエスのなさろうとしていることを誰も本当に見ていませんでした。
今朝の27節に、「23:27 民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。」とあります。この言葉は、もっと詳しく訳しますと、「膨大な数の人々がイエスに従った。そしてその中には、死者を悼んで甲高く泣き叫ぶ女性たちも含まれていた」という言葉ですので、そこにはいわゆる、葬儀を盛り上げたり仰々しくするためにそれを生業とし、そういう役割が与えられていた泣き女と言われる女性たちがいたようです。しかし、泣き女たちに泣かれている側の主イエスの方が、いきなり彼女他たちを振り向いて、それは違うよと、28節からの言葉を語られました。まず28節をお読みします。「23:28 イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。」私のために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。つまり、泣き女たちよ、あなたの泣く相手は間違っていると。そうではなくて、自分を救うために来た救い主メシアを、十字架に付けて殺そうとしている、その本当に悲惨で、的外れな自分自身と、その間違いをそのまま引き継いでしまうあなたの子ども達のために、心から悲しんで、悔いて、そのために涙を流す時が今ではないかと、これはそういう主イエスの言葉です。
さらに29節です。23:29 人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。」ここでは、価値観がこれまでとは真逆になるということが言われています。当時は今とは違って、女性が子どもを産めないということが、そのままで不幸を意味していました。しかし、そういう女性が幸いだと言われるほどに、価値観と、今皆が考えている常識が裏返る。
そしてこの逆転は、主イエス・キリストの十字架と、何よりその十字架を背負ったキレネ人シモンに起こったことなのだと思います。全く脈略のない、訳の分からない全くのミスキャストがここで起こっているわけです。どこから来た誰なのかも定かならない、突然湧いて出てきたキレネ人シモンが、無理やりに主イエスの十字架を背負わされて、主イエスのあとを歩ませられた。とんでもないミスキャストであると同時に、これを見て、「ああ、とんでもない罰ゲームが彼に降りかかってしまったな」と、「可哀想に」と、この時きっと周りにいた人々全員が、そう思ったと思います。しかしこれは、シモンに与えられた不幸ではなく、その逆の幸いだった。それは救いでした。
マルコによる福音書15章21節には、彼について、「アレクサンドロとルフォスの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。」と書かれているのですが、このキレネ人シモンの息子、ルフォスの名前がローマの信徒への手紙13章13節にも、こう記されています。「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、及びその母によろしく。彼女は私にとっても母なのです。」ローマ書のに書かれるほどの有力な教会指導者ルフォスは、同一人物で、これがシモンの息子のルフォスではないかと言われています。
つまり、キレネ人シモンは、主イエスとここで出会って、この思わぬ出来事をきっかけに救われて、その救いが、エルサレムから、遠くキレネの地までに及んだ。そして、アレクサンドロとルフォスという二人の息子、またパウロがローマ書で、私にとっても母だ、とまで呼ぶ、シモンの妻にまで、救いがその家族全体に広がった。さらに、この後の歴史において、キレネに有力なキリスト教会が誕生し、そこから遠くアンティオキアまで、今で言うトルコ南部にまで、キレネから海外宣教師が派遣されて、アンティオキア教会の立ち上げを手伝うというまでの、キレネ教会は稀に見る有力な教会になった。そういう歴史的事実が使徒言行録に記されています。
よって、形としてはキレネ人シモンが主イエスの十字架を担いだのですが、実はここで起こっていることは、それまで会ったことも話したこともないようなシモンを、当時の世界地図の西の端にいた彼を、十字架の真下に呼び寄せ、主イエスの真後ろを、十字架を背負って付いて行くというという、他の誰も経験したことのないような深みにまで招き入れて、救いに入れてくださった。されあに家族をも、そのキレネの街をも救ってくださったという、これは、初めから終わりまで、実は主イエスがシモンを、背負っていてくださったのだという話なのです。
そしてこのシモンに起こったことは、サイコロを振るようにして、どこに住んでいる誰に対しても、これは起こりえることです。もちろん主イエスは、サイコロを振るような行き当たりばったりではなく、私たちの思いと予想を超えた深い、熟慮された神の御計画によって、一人一人を十字架に触れさせ、十字架を背負わせてくださいます。つまり、あなたが今朝、この私たちが今、この御言葉を聞いたことは、決して偶然ではないということです。そして今この場所から、私たちの人生は、私たちの価値観は、全く新しく開かれていきます。
主イエスはマタイによる福音書で語ってくださいました。「11:28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。11:29
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。11:30
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
軛とは、牛や馬に荷車を引かせる時に、その肩にかける、リヤカーの取っ手のような部分です。今朝の御言葉で言えば、主イエスの軛とは、それはまさしくシモンが背負った主イエスの十字架のことです。そしてその軛を背負うと、重くて苦しくて前に進めなくなって、疲れ倒れるのではないのだと。主イエスの軛を背負って、主イエスに学んで、そのあとに付いていくならば、そうすれば、あなたがたは、疲れ倒れるのではなくて、逆に、安らぎを得られる。逆に力が湧いてくる。なぜなら、主イエスの軛は負いやすく、主イエスの十字架は、軽いからである。
シモンへの罰ゲームだなんてとんでもない。自分の命を抉り出して与えてくださる主イエス・キリストの愛の血しぶき。私たちの加害者性とすべての罪を包み込んで、この心の汚れと苦しみのすべてを、私たちの内から取り除いてくださる十字架の赦し。そんな熱いものを背負わされる時には、逆に力が沸き上がる。かえって足取りが軽くなる。そこで前を向けば、そこには、全く縁もゆかりもなかった、自ら、またはるかに遠く離れていた私を、御自身の十字架に触れさせ、それを背負うことへと今招いてくださった、主イエスの背中が見える。
シモンにはこの時、この十字架が何なのか、この主イエスの背中に付いていく先に何があるのか、まだ分からなかったと思います。けれども、磁石に吸い寄せられるように、彼は主イエスの背中だけを見て、その足跡を辿り、内側から溢れ出る熱い力を与えられて、彼は、軽い軛である十字架の重さを感じることなく、力強く歩み、また歩まされたのではないか。そして実際、これでいいのではないかと思います。十字架に繋がって、その都度、主イエスの背中とその足跡を追っていく、私たちそれぞれの歩み、100周年以後の教会、もちろん今はっきりと全体像が見えているわけではありません。単純にコロナの前に戻すことが正解ではもはやなく、もう現実はそうはならないことが分かっています。しかしそこですることは、十字架を背負って、毎週ここで礼拝しながら、新しく十字架を背負わせていただきながら、一歩一歩、主イエスに学んでいく、その背中に付いていく。その中で、力が与えられ、道が開かれていきます。主イエスの十字架は、それはあっても無くても、背負っても背負わなくても良いというものではなくて、私たちの生命維持装置、生き延びるための呼吸器です。主イエスの十字架を背負う時にこそ、私たちは初めて、本当の安らぎを得、力を得、息を大きく吸い、命を得ることができるのです。私たちは、この十字架と歩む。今朝もこの礼拝に、主イエス・キリストが共におられることに、感謝いたします。