20211024日 マタイによる福音書62534節 「DON‘T WORRY

今朝、教会に来てくださった皆様に、聖書の言葉からお届けしたいことは、安心です。

今お読みした聖書の言葉は、主イエス・キリストが語ってくださった、わたしたちへの言葉ですけれども、そこにある主イエス・キリストの私たちの思いは、どうか安心してほしい。心配しなくていい。不安になり過ぎなくていいよ、というメッセージです。

今朝の説教題は、DON‘T WORRYですけれども、思い悩むなと書かれているこの聖書の言葉は、今から340年前の古い翻訳の聖書では、思い煩うな、と訳されていました。

思い、考えるということは、否定されていませんし、それは必要です。ここではDon’t thinkとか、Don’t feelと言われているわけではありません。でも、考え過ぎて、悩み過ぎて、それで病気を患うまで、行ってしまうことはないと。あなたがそこまでやらなくても、あなたがそこまで考え込み過ぎなくても、良いよ。Don’t worry.心配しなくていい。これが今朝のメッセージです。

 

 聖書には、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと思い悩むなと。さらには、明日のことまで思い悩むな、と書かれていますけれども、私たちには、沢山考えなければいけないことがあります。

 朝ご飯を食べて教会に来たら、この礼拝が終われば、悲しいことにすぐにお腹が減りますので、お昼ご飯のことを考えずにはおれませんし、お腹を空かしている家族がいるなら、昼を食べ終わらないうちから、もう今晩の献立を考えておかなければならない。

 近頃急に寒くなりましたので、コートやセーターを箪笥の奥から引っ張り出してこなければいけない。ブーツが欲しいなあとか、厚手の靴下がまた要るなあとか、食べ物着るもののことを考えるわけです。それで思い悩み過ぎて病気になるまではいかないにしても、けれども、何を食べるにしても、着るにしても、そんなことはどうでもいいとは思えない訳で、私たちは、服の身なりや、毎日の食べ物で、そこで何を選ぶかで、ある程度、自分が決まってくると考えているのだと思います。

 季節に合わせた良い服を着て、お洒落なブーツを履いていれば、自分も嬉しいし、周りも、可愛いねとか、お洒落だねとか言ってくれたり、ちゃんとした人として自分を見てくれたりと、そういう面がありますので、食べ物や身なりに気を遣うということはありますし必要です。しかし、もちろん、それがすべてではないということも分かっています。服装が私のすべてを決める訳ではないこともまた、私たちは知っています。

 それから、食べ物飲み物服装という程度のことと違って、自分の力で自由にコントロールできないようなことについての思い悩みも、たくさんあります。自分の顔、この体、自分の性格、最近親ガチャという言葉も使われますけれども、それは、どういう親の子どもとして、どういう家に生まれてくるのかは、ガチャガチャを引くような運試しのようなものではないかという言葉ですが、自分の家庭環境や、これまでの人生の歩み、こういう過ぎてしまったことについても、私たちは思い悩みますし、しかし同時に、これはもう、いくら考えて思い悩んでもいかんともし難い部分でもあります。

 そしてさらに厄介なのは、聖書にも語られています、明日のこと。これから先のことについての、思い悩みや不安です。新型コロナウィルスの感染者数は、兵庫県で一日数十人というレベルまで、今は減りましたけれども、でも自分は絶対に感染しないし、感染しても重症化はしない、とは言い切れませんので、やっぱり、明日の自分のことは心配です。

 

 本当にたくさんの、考えるべき無数の事柄があります。それら全て考えて、そのすべてを心配ない状態にまでもっていくために、一つ一つに対策を立てて、考え抜いていくということは、残念ながら、いくら頑張っても、いくらお金持ちでも、私たちの力ではできません。もしそういう風に全てを不安なきようにコントロールしなければならないとなったら、本当にそのことで悩みが深くなって、病気になってしまいます。コロナウィルス禍によって、世界中のどんな有能な専門家も、二か月先、また一か月先の状況でさえ、正確に見通すことは不可能だということが、明らかになりました。これをしていれば、絶対に100%コロナに感染しないという方法も、残念ながら、どこにもありません。

 どうしたらいいのでしょうか?この、出口のない思い悩みの連鎖を、どう解決したらいいのでしょうか?なぜイエス・キリストは、こんな私たちに思い悩むな、思い煩うなと、DON’T WORRYと、言えるのでしょうか?

 

DON’T WORRYと言える理由、その根拠は、思い悩む私たちの代わりに、神様が、あなたのことを、すごくすごく考え、代わりに深く深く心配し、思いを寄せてくださっているからです。

 そこで主イエス・キリストが指差したのが、空です。主イエスは言われました。今朝の26節です。「空の鳥たちをよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」

空の鳥は、種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。でもしっかり生きている。とても不思議です。彼らには冷蔵庫もなければ、預金通帳も、お財布もお店もない。けれども、空にはたくさんの鳥がいて、元気そうにしている。冷蔵庫もないのに、お腹が減って飛べなくなって、空から鳥が空腹でバタバタ落ちてくるということはない。なぜでしょうか?その秘密は、神様が鳥たちを養ってくださっているからなのだと、主イエスは言われるのです。

空の鳥たちは、何も生活の保障を持たなくても、明日のことを心配せず、楽しそうに生きているではないか。ましてや、空の鳥や野の花よりもずっと価値があるあなたがたは、なおさらではないか。あなたにこそ、どんな時でも、空の鳥以上に喜んで、楽しく生きて欲しい。そんな大事な、あなたなのだ。そして、だからこそ、天の父は、あなたを支えて、必要なものは与えてくださる。神様は、そのためにいらっしゃる。その神様がいるから、心配はいらない。

 

そして主イエスは、思い悩んだり考えたりすべきたくさんの物事を抱えている私たちに、そのすべてを考えるのは到底無理で、それをしたら病んでしまうので、そこでシンプルに、ただ一つのことだけを求めればいいのだと言ってくださいました。33節です。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな、加えて与えられる。」と言われました。

神の国とは、国ですから、国には国土があり、自然があり、空があり、海があり、社会があり、人々がいて、言葉があり、そして歴史がある。神の国はそういう、神様がその手の中に治めておられる、この世界のことです。

空の鳥や野の花も含めて、この世界全体を支え治めているのが神様であるならば、その頂点に立っておられる、一番大事な、一番力をお持ちの神様のことに目を向け、思いを向けていれば、それで十分で、あとこのとは、神様がすべて取り計らって、私にとって一番良いように、責任をもってすべての面倒を見てくださる。

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな、加えて与えられる。」とは、そういう意味です。

 

私は、神様を知るようになって、空の見方が変わりました。空を見上げる時、私がいつも意識するのは、神様の目です。神様が空からこちらを見ておられるので、私が空を見る時には、神様といつも目が合っていると感じるようになりました。決して睨まれているのではありません。私が空を見上げると、いつも神様は、優しい、見守るような目で、私のことを見返してくださいます。

突然ですが、私はダムが好きで、先週金曜日の夕方、神学校の帰り道で、ちょっと時間がありましたので、ダムに行って一回深呼吸でもして帰ってこようと思って、つくはら湖に寄ったのですが、そこでパッと空を見上げたら、ちょうどダムの上に、綺麗な、大きな虹がかかっていました。

虹は、聖書では、私はあなたのことを大切に守るよという、神様からの、私たち人間に対する、指切りげんまの約束のしるしです。ちょうど今朝の、空の鳥を見よという主イエスの御言葉を考えていた時でしたので、虹を見て、また神様からの微笑みのOKサインを受けた気がして、励まされました。

そんな神様が、私にとっての神様であるだけでなく、また保田猛さんのこともその腕でしっかり支えて導いてくださる神様であるだけでもなく、頼りになる、優しい父親のような、あなたにとっての神様なのです。

 

さらにこの神様は、空の上におられるだけでなく、さらに、空からこの雲の下に降りてこられて、人間としてこの地上にお生まれになってくださいました。その方が、今朝の御言葉を語っておられるイエス・キリストです。

この説教のあとに、有名な、「いつくしみ深い」という讃美歌を御一緒に歌いたいと思いますけれども、その讃美歌で歌われるのが、この主イエス・キリストです。「いつくしみ深い」という讃美歌のもともとの題は、What a Friend we have in Jesus.という、「イエスという最高の友達」という題です。

「いつくしみ深い、友なるイエスは、憂いも、罪をも、拭い去られる。悩み苦しみを、隠さず述べて、主にのすべてを、御手に委ねよ。」自分の婚約者を、事故で、また病気で、二度も失うという過酷な経験をしたアイルランド人スクライヴェンの作詞ですが、その苦しみ悩みを共に背負って、自分を支えて、一緒に歩んでくださる、主イエス・キリストという最高の友に、彼は守られ支えられましたので、その最高の友を紹介するようなこの歌を書いたのです。

 

DON‘T WORRYとは、ただのやみくもな楽観主義とはもちろん違います。DON’T WORRYには根拠があります。それは、微笑みの神様が空の上から。そして、イエス・キリストという最高の友がすぐそばに寄り添って、両方からあなたを助けて、あなたのための、あなたの明日を、備えてくださる。あなたの明日は、食べ物や身なりや育ちや貯蓄額が決めるのではなくて、この神様が、決めてくださる。この神様には、予想の利かないコロナウィルス禍の中でも、あなたの明日への用意がある。そこには、私の明日への、神様の優しさと配慮が、ちゃんと備えられていて、私たちの明日は、いつも神様の愛の手を通じて、手渡されます。

ですからどうぞ今週は、こういう神様がおられて、私のことも見ておられるのだなと、少し楽な気持ちになって、安心してくださり、教会の帰りに是非、空を見上げてみてください。