ルカによる福音書13章10~17節 「自由になれる日」
今朝の御言葉を通して、日曜日に、私たちが何をするのか、何をしにここに集まっているのかという、私たちの今日の問題が問われています。
今朝の御言葉には、前半後半に分けて、主として、二人の登場人物が登場し、それぞれ主イエスとやり取りをしています。一人は18年間も腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができない女性、そしてもう一人は、その女性を癒す主イエスを批判する会堂長です。そしてこの二種類の人たちの、どちらも、その存在が私たちの身に迫ってくる、私たち自身の姿を現しているかのようなこの二人です。ですから今朝も私たちは、聖書を凝視しながら、このどちらの人も、この自分に関係がある。この二人を通して、この自分に光が当てられている。もし自分が、ここに出てくるこの人の立場だったなら、何を思うのか。そういう視点で、この御言葉に向き合っていきたいと思います。
そこで、この御言葉にご一緒に取り組んでいきたいわけですけれども、この御言葉の世界の中に入っていくために、もう一つ皆さんと理解を共有したい大事なことがあります。それは、この聖書の言葉の背後にある、当時の社会の雰囲気です。それは、なかなか正確にとらえることが難しい事柄ではあるのですけれども、この当時の社会での、安息日の雰囲気。つまりそれは、今の私たちで言えば今日のこの日曜日のことなのですけれども、当時の安息日の、そこにあった雰囲気にまず思いを馳せたいと思うのです。
雰囲気といいましたけれども、考えたいのはまさしく雰囲気です。雰囲気とは、なかなか言葉にはっきり表すことのできない時代の風潮とか、暗黙のルールという部分の話です。
そしてこの聖書の当時の安息日とは、どういう日だったか?それは、譬えて言うならばどういうことなのか、それを考えるうちに、大昔に中学野球部で経験した、不条理なしごきを思い出しました。炎天下にずっと立たされ続ける。いいと言われるまで立っていなければならない。理由は、足が遅いとか、声が出てないとか、こじつけの様な、相手を思考停止に陥らせるような理由です。そこから解放されるためには、怖い先生に何回か嫌味を言われて、金属バットの取っ手の角で頭をコツっとたたかれなければならない。威圧感と、不条理と、でも、絶対にそれに歯向かえない、歯向かおうとも思わせないような、あれはやはり恐怖による支配だったと思います。
聖書そのものには、安息日にしてはならない禁止事項について、ほとんど語られていないのですが、ユダヤ教の経典であるタルムードには、39の、安息日にしてはならない禁止事項がありました。それは、十戒の第四戒を援用して作られたのですが、その禁止事項が作られたことの動機は、決して悪いものではありませんでした。それは、聖書で言えば旧約聖書と新約聖書の、ちょうどその間の時代、私は今、水曜礼拝で12小預言書の説教をしていますが、その時代のあとに起こったことですが、ユダヤ人が、バビロン捕囚によって生じた国際結婚による混血と、ユダヤ人としての文化の消失から立ち直って、もう一度、ユダヤ人とは何か、他の諸民族と我々の違いは何かということを明らかにしようとした。その時に、このような規律がたくさん生まれて、特に、この安息日の過ごし方と、何を食べるかという食物規定と、肉体に刻む割礼、それによって示す民族の純血という、この三つを特に強調して、ほかの民族とユダヤ人との違いを際立たせようとしたわけです。
安息日の行動を見れば、それがユダヤ人なのかそうでないのかが一目で分かるようにして、ユダヤ人としての文化と、民族としての基を据えようとした、そこにあった民族としての誇りを取り戻そうとした。そういうユダヤ人の国と民族の命運をかけたこととして、その大事な一部として、安息日規定というものが定められた。
今でも熱心なユダヤ人たちは、安息日には、その39の戒めを現代に適用して、公共交通機関は半分以上休みになりますし、ボタンを押さない、だからエレベーターに乗らない。パソコンにも触れない。よってインターネットもしない。基本的に当時から、医療行為もしない。薬も飲まない。ただ命に係わる重大事については、許可される。その点から捉えて、戦争も、かつて安息日に攻め込まれて負けたという記録が紀元前にありますので、その反省から、戦争も命に係わるこことして、安息日に行ってもよいこととされています。
そういう確固たる規定が、この日を支配していた。それを破るということは考えられない。なぜ安息日には、ボタンが押せないのか、それが第四戒と何の関わりがあるのか?今となっては、この当時の聖書の時代にしても、もう誰も説明できない。けれども、そういうモノを言わさぬ、不条理な決まりが、社会の中に深く浸透していて、それぞれの行動を縛っている。人々がその規則の中で生き、お互いを監視し合っている。
そしてこの雰囲気は、これ似たものが、この日本にもありますし、この感じは私たちもよくわかるのではないかと思います。今のコロナ禍でもそうです。自粛ムードという言葉が、今現実的に、とても強い力を持っています。自粛ムードですので、言ってしまえば雰囲気です。もちろん医学的な公衆衛生上の配慮は、大切にされなけれればなりませんけれども、今の日本の場合には、外出したり三密になったら罰せられるというような、明確な決まりや法が規定されているわけではない。しかし目に見えない同調圧力が働いていて、私たちは今それに大きく影響を受けています。
昨日は、教会に集う子どもたちを連れて、三田市に川遊びに行ったのですけれども、このことを他の人が知ったら、もしかしたら炎上するかもしれません。そしてそれは、毎週集まって行っている、この日曜日の礼拝においても同じことです。
人間の社会は、おしなべてみんなそうですけれども、日本も、この時のユダヤ人と同じ、単一民族国家という意識の上に立っていますので、社会の根っこに排他性があります。政治家は、古き良き、美しい日本を取り戻すべきだと、ユダヤ人がかつてやったことと同じ事をしようとしています。歴史の中で何度も繰り返されてきた、ナショナリズムを醸成する手段です。そんな中で、そういう国家主義的な社会通念に沿わない人を叩いたり、他人が自分とは別の意見を持っているというごく当たり前の事実に対して、驚きをもってそれを捉えて、非難の対象にしたりする、そういう在り方さえもが、普通にまかり通るようになってきています。
そういう社会通念、同調圧力、そこからくる雰囲気が人を縛り、当たり前の喜びを妨げたり、人をまっすぐに生きられなくしたり、そうやって、喜びをもってまっすぐに生きていこうとすること自体に、大きな勇気が必要になってきてしまう。そういう社会が、この聖書の時代にもありますし、この私たちの今にもあります。
その中で、18年間病に取りつかれて、腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことのできない女性がいました。まだ若かったのか、中年だったのか、年老いていたのか分かりませんが、そのすべての可能性があります。そういう意味ではすべての女性にあてはまるような、一人の人なのかもしれません。
彼女は安息日に行われた礼拝に来ていて、そこで主イエスがちょうど、教えておられた。腰が曲がったままの彼女は、そこで、とても目立ったのかもしれません。そう考えると、それはまだ若い女性だったのかもしれません。だけれども腰が曲がってしまっていた。治してもらいたい気持ちはもちろんやまやまで、だからこそまがった腰で、体と足を引きずりながら、何とか頑張って会堂に辿り着いた。本当に彼女は、私たちみんなの代表です。
しかし彼女は、遠慮していました。なぜなら、命に係わる病ではないからです。周りにいる人も、彼女が大変そうなのがわかるし、かわいそうだと思いながらも、安息日ということもあり、下手に助けられない。ましてや主イエスに癒してもらうということも、この日にはやってはならないことなので、皆も、彼女自身も、何もできずにいた。礼拝に来ているのに、自分が病を抱えているのに、それを素直に表に出せない辛さがそこにはあった。
礼拝に来ても気が重い。神様に、というよりも人に対する義務感や強迫観念によって苦しい思いで礼拝に足を運び、抱えている悩みを表に出せないまま、それをまた持ち帰る。そういう心あたりが、そういう日曜日の経験が、それぞれにあると思います。
けれども主イエスは、彼女がそのままでいることを許されません。12節13節、「13:12 イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、13:13 その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。」
私たちは、端的に言ってこれに与るために、日曜日の礼拝に来ています。自分自身の病、自分自身の思い、自分自身の課題、祈り、それは本来は自分で何とかしなければならない問題なのかもしれないけれども、本当に自分自身では、もうどうにもならないので、教会に来る。そうしたら、主イエスが何とかしてくださる。安息日だからと言って、命に係らないことだからと遠慮する彼女に対して、主イエスは自粛しないのです。大胆に、皆の前で、主イエスの方から彼女を呼び寄せてくださり、「婦人よ、病気は治った」と言葉をかけて、その上に手を置かれた。
そして私たちも、主イエスに言葉をかけていただいて、主イエスに触れていただいて、まっすぐになり、神を賛美する。ここで、病気は治ったと訳されている言葉は、弱っていた状態から解放されて強くなったという言葉です。やはり私たちは、毎週、平日を歩む中で、強さ健やかさを失って、時に病気の状態になってしまいます。自分で自分に、あるいは他人から、毎週縛りをかけられて、弱ってしまう。あの人に言ってしまったあの言葉、あの人から言われたあの言葉、それが心を縛って、それが毎晩思い出されて、自分ではほどけない。そういう事が本当に毎週起こります。主イエスに呼び寄せていただいて、手を置いていただいて、あなたは病気から解放された、と言っていただいて、またまっすぐにしていただいて、そして嬉しくなって、神様を賛美させていただく。本当にこの日曜日が毎週あるからこそ、私たちは何とかやっていける。
そして14節以降が今朝の後半の話ですけれども、会堂長は、この女性が主イエスによって癒されて、喜んで、神様を賛美するという素晴らしい癒しを、喜べません。それどこか、激しく腹を立てて、会堂に集まった群衆に向かって、「働くべき日は六日ある。お前たちは、その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」安息日だけはだめだ。安息日にあの女のようにはなるな、という全否定です。しかし主イエスはそれを、「あなたも安息日には牛やろばの縛りひもを解いて、家畜を解放し、水を飲ませるではないか。家畜よりもはるかに価値ある人間は、安息日にこそ、サタンに心身ともに縛られているところから、解き放たれるのだ。」と言われて、安息日にこそ神様は、人を救う御業をなされる。大事なのは、家畜に水を与えることよりも、この日に人間が命の水を得ること。他のものから解放されて、人が神様からの恵みを受けることに集中することではないかと、訴えられました。
17節に、「こう言われると、反対者は皆恥じ入った」とあります。彼ら反対者たちも、縛られていたのです。神の礼拝堂の会堂長ともあろう者が、神様が規準となるべきその場所で、神様以外の、自分たちの伝統や会堂長としての権威を維持したい気持ち、人を縛る社会通念、当時の世の中で言われているところの常識にとらわれて、神の豊かなお働きに目を向けられずにいた。
しかしそこで、「群衆は、こぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。」と最後に書かれています。ここに、私たちの日曜日の本来の姿があります。イエスがなさった数々のすばらしい行い、という言葉は、直訳的に訳し直しますと、「イエスよって生み出し続けられる、すばらしい行いのすべて」という現在進行形の言葉になります。
この時癒されたこの女性のことだけではないのです。人々は、「イエスよって生み出し続けられる、すばらしい行いのすべて」を見て喜んだ。一つや二つではない、たくさんの素晴らしい主イエス・キリストの御業が、安息日に会堂で、今も生み出し続けられている。それを私たちは見て、喜ぶことができる。
日曜日に、礼拝で皆さんと向き合うことができる時、皆さんを癒す主イエス・キリストの言葉を説教している時、祝祷で送り出すとき、その時に目にする一人一人の顔に、喜びがきらりと見える目の輝きに触れる時、本当にこの御言葉の通りのイエス・キリストの素晴らしい御業が、いつもここで起こっている。起こり続けていることを、私は毎週目撃しています。
本当に自由になりましょう。自由にしていただきましょう。神様以外のすべてから、ここで私たちが自由にされて、罪の縄目からも解かれて、嫉妬や競争心からも、空気を読むことからも、変な同調圧力からも、この時ばかりは解き放たれて、自分自身のことを喜び、すべてのわだかまりを解きほぐされて、人のことも同じように心から喜びたい。
そして何よりも、呼び寄せてくださり、手を置いて癒し、まっすぐにしてくださる主イエス・キリストの神が、目の前の、同じ場所におられて、この女性にしたように、私にも、他の人にも、してくださる。たくさんの御業を、し続けてくださる。そのイエス・キリストの御業を見て、神を賛美し喜びたいと思います。