2020年12月20日 ルカによる福音書1章21~38節 「おめでとう!主があなたと共に!」
去年の状況が嘘のようで、もう去年のようには簡単には戻れないという苦しさの中に、世界が置かれていますが、しかし今年も、このクリスマスがやってきたことに感謝したいと思いますし、この事実に、今、しみじみと、ひとしおの感慨を覚えます。
この年、教会は、私たちは、コロナウィルスによって大きな挑戦を受けました。教会とは、もともと教える会堂という教会という意味の言葉ではなく、人の集まる集会という意味の言葉です。また聖書が語っている色々なことの中で、その一番の中心は、愛です。しかし、この愛と、そして、その愛ゆえに集まるということが、コロナウィルスによって挑戦を受けました。
愛とは、単純に言えば、触れ合うことです。それは、あの人がそばに居てくれたら嬉しい。でもいなくなってしまったら寂しい。愛する人に近くで触れ合いたいという思い。それが、人を愛する時の自然な思いです。しかしその触れ合いが禁じられ、その愛を、神様とそして人々と共に分かち合うべく集まるということが、その場所としての教会が、挑戦を受けました。
そしてウイルスによって社会のマナーが変わり、人と触れ合うこと、一緒に食事を楽しむこと、マスクを外して話したり歌ったりすること、密になることは、今、相応しいこととは言えない、エチケットに反することになってしまいました。寂しいことです。
ルミナリエも、小学生たちのスキー合宿も、色々な行事や計画も、ほとんどすべてが自粛となる中で、けれども、今朝、とても嬉しいのは、クリスマス礼拝を行うことができたこと。クリスマスは中止とはならず、今年もこの日が来たということです。
先程お読みした聖書に、世界で始めのクリスマスのことが、それを引き起こすきっかけになったマリアの懐胎の時のことが、書き表されています。それは全く突然のサプライズでした。天使がマリアの前に現れて、いきなり、「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」と告げました。
クリスマスは、サプライズプレゼントです。マリアはこれを天使から言われて、驚き戸惑い、考え込んでしまいました。サプライズ過ぎて、おめでとうと言われる筋合いがなさ過ぎて、主があなたと共におられると言われるには、心当たりが全くありませんでしたので、「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」と言われても、かえって恐れと不安に突き落とされてしまうほどに、それに相応しいような、マリアその人ではなかったのです。
けれども、クリスマスは、Happy Birthday to you!と同じように、クリスマスおめでとう!と言う時には、Merry Christmas to you!と言います。マリアには、それを天使が告げましたけれども、今のあなたに向けて、今の、今年の私たちにも向けて、Merry Christmas to you!という呼び声は、この聖書からここに届いています。
ですからまず、このクリスマスを受け取りたい。クリスマスの当事者になりたい。Merry Christmas to you!というこの呼びかけを、ちゃんと、Merry
Christmas to me,と自分に受け取りたいと思います。Merry Christmas to meとなることで、私たちはどうなるのか?その時には、ちょっとクリスマス気分を味わえて、心が動かされ、クリスマスの温かみで、なんとなく心がほっこり、暖かくなるとか、少し前向きになれるとか、そんな程度のことが、クリスマスの効用ではありません。
クリスマスという言葉の中には、キリストという大事な名前が彫り込まれ、含み込まれていますので、Merry 嬉しい、喜びの、Christ,キリストとの、mas、ミサ、礼拝、つまりキリストとの出会いを、to youあなたに。ですからMerry Christmas to youということは、そこにキリストからあなたへの一対一の向かい合いという、ある意味真剣勝負があるということです。Merry Christmas to you!私に、キリストとの喜びの出会いが向かって来る。
人は、ひとりでは生きられません。いつもより添ってくれる存在を必要としています。私たちはいつも、そばにいて、一緒に寄り添ってくれる存在を求め、真の交わりを探しながら、自分がひとりではない、今自分は一人ではないのだ、という感覚と実感を追い求めて生きています。人は人と共に生きる時にこそ、自分を理解してくれる誰かが一緒にいて、一緒に共に生きくれるということの中にこそ、本当の満足感と充実を見出していく存在だからです。神様は私たちをそのように造られました。
ですから、共に生きる相手を必要としている、一人では生きられない私たちに、Merry Christmas to you!という呼びかけがあることは、「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」と呼びかけられることは、またとない嬉しいことであるはずなのですが、しかしマリアは戸惑いました。けれども天使はさらに言葉を連ねて、こう言います。改めて30節からお読みします。「1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。1:32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。1:33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」」
しかし、マリアの反応は、未だに困惑の只中にあります。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」とマリアは答えました。そのようなことはありえない。違和感しかない。なぜなら、マリアはあらゆる、すべての意味で天使の言うことすべてに、相応しくないからです。マリアはまだ男性を知らないので、子どもを産むのに相応しくない。マリアは一介の、貧しい田舎の娘にすぎないので、天使と会うのには相応しくない。天使から、おめでとう、あなたは神から恵みをいただいたと言われても、そんな神様からの恵みを受けるようなことは何も彼女はしていないし、その筋合いもない。神から恵みをいただいたと言われても、その恵みに相応しくない。ましてや、やがてあのダビデ王がすわったような王座に座るような神の子をおなかに宿すには、どうしても、とてもではないけれども、自分は相応しくない。
しかしながら、マリアがいくら考えても納得できないこれらのことを、そのすべての相応しくなさを超えて、神様は成し遂げてくださる。拒み続けるマリアに対して天使は最後に断言しました。「神にできないことは何一つない」と。
そしてここに、クリスマスの目的が、鮮やかなかたちで明らかになりました。それは、この私たちに、そぐわないもの、私たちに相応しくない良きものを、相応しくないような恵みを与えるということです。
With Coronaの時代に、親密な愛はそぐわない。人が密に固まるのは相応しくない。私たちは心の底ではそれを求めてはいるのですけれども、そして、それは何もコロナだけが理由なのではなくて、人を避けたり、見栄を張ったり、妬んだり、負い目があったり、ごめんと謝れないことがあったり、この一年間も色々なかたちで積もり積もってしまった、そういう心につかえているものが私たちそれぞれに、色々とありますので、どんな時にも一緒に居てくれる、共に生きてくれる存在が欲しいけれども、そうなりたいけれども、できないという現状が、実際に、それぞれにある。もちろんコロナで会いに行けない、近づけない、ということはありますけれども、しかし仮にコロナがなかったとしても、そのあるなしに関わらず、うまくいかないことがある。会いに行けない人がいる。心に引っかかっている重たい気持ちがあり、それが孤独を生み出し、自分を、相手を、苦しめている。
けれども、神様は、そんなあなたを放っておかないのです。あなたにも、そんなあなただからこそ、Merry Christmas to you! 「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」
「えっ、私と共に?」と、びっくりしてしまうのですけれども、Merry
Christmas to you!と神様から言われて、困惑してしまうそのあなたの耳に、今朝神様は、聖書の言葉を通して、マリアが聞いた天使の声を、ちゃんと聞かせてくださっています。神様は、あなたのその孤独な心をいたわり、苦しみを取り除き、そこにある根強い不安と恐れの代わりに、「わたしはあなたと共にいたい。わたしはあなたが一緒に居てくれると嬉しい。わたしは、いつもあなたと一緒に居たいし、今日からあなたと共に生きていきたいのだ」という大きな愛を、与えてくださいます。
私たちは、私たちを愛し、私たちといつも共にいることを望んでくださる神様の愛を受けて、Merry
Christmas to me!ということに励まされて、Withイエス・キリストで、今日からずっと生きていっていいのです。
マリアは最後に、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と言いました。そして、本当にその言葉通りに、マリアの身に、天使の語ったすべてのことが起こりました。本当にマリアのおなかの中に、主イエス・キリストの命が宿されて、マリアの血と、マリアが口から吸う酸素と、マリアの食べる栄養が、おなかの中のイエス・キリストと共有されて、本当にマリアと胎児の主イエスが共に生き、共に歩み、共に成長された。神の御子主イエスが、マリアの中で一体と共に呼吸し、共に生きてくださるということが実現しました。
聖書の中には「あなたがたは神の神殿であり、神の霊があなたがたの内側に住んでおられます。」という言葉もあります。ですので、実にこのマリアに起こったことは、この私たちにも起こることとして語られています。ですから私たちも、今日Merry Christmas to you!と言われたら、マリアと同じように「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と答えて、クリスマスを、受け取ることができるのです。
とてもそれにふさわしくない私たちですが、私たちの内側にも、主イエスが共に生きてくださいます。神様は、私たちがコロナに苦しみ、孤独に苦しみ、寂しさの中にある、今この時にこそ、私たちに目を留め、私たちを、生きた主イエス・キリストをこの身に宿すにふさわしい私たちとしてくださり、主イエス・キリストが共に生きてくださいます。Merry Christmas to youで、人生が変わります。「神にできないことは何一つない。」天使が語ったあの言葉は本当です。神様にはそれがおできになります。
祈り
神様、今年の、このクリスマスの日を感謝いたします。この日の恵みが、この時だけのもので終わりませんように。クリスマスの喜びとクリスマスのあなたとの交わりが、日常の日々のすべてにもたらされるようにさせてください。今この時、悲しみの内にある人々。痛みの中にいる人々、寂しさの中にある人々、友人のない人々、家庭のない人々、家族の交わりのない人々、言いようのない苦しみの中にある人々、そしてこの私たち、しかしそこに届くお方として、このクリスマスの日、主イエス・キリストが、この世界にお生まれになられました。この日の恵みを、心から感謝いたします。このあなたからの愛を、わたしたちに受け取らせてください。神様、あなたにできないことは何ひとつないのなら、どうか、この聖書の御言葉が、今日のこの私たちにとって、この身になりますように。主イエス・キリストのみ名によって、お祈りいたします。